FC2ブログ
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- -- l スポンサー広告 l top


ボンジュール、フランスからです。
今朝の洗濯は半年ぶりに洗濯機を使い始めて、2回目です。
昨日はハーフケットを洗って、今日は風呂マットを洗いました。

何かとレトロな部屋は、大家さんの趣味で紫ベースでコーディネートされているのですが、飾ってくれていた蘭まで紫でした。
しかもこの花、私が到着してから造花だと思っていて、造花は嫌いなのでどこかに仕舞おうと思い茎のところを手づかみで持って、床におろしていました。
夫が、「これ、せっかく入居してくれるからってことで飾ってくれたんじゃないかな、高かったと思うよ」と言ってきたので、あれ?ということになった伝説の花です。

ねこ  高い? えっ、これ造花でしょう?
かめ  ちがうと思う!
ねこ  (さわってみる)えっ、ほんとだ違う!生きてる!
かめ  かわいそうに、花の気持ちになってよ「捨てられた~」って
ねこ  ごめん、造花と思って茎持ってしまったわ
かめ  うおー、首しめたなー
ねこ  はいはい、ごめんね、もとの位置にお帰りください

ということで、無事に生きております。
生存の証としてジャーナルに登場してもらいます。
しかし、これどうやって育てるんだろうな。
日本的に、お米といだ水でもあげとけばいいのかな。

さて、昨日の日中はのんびり、秋のショット大会でした。
これが昨日の街なかで撮影したお気に入りです。





手話の学習に関しては、ろうに合うということを前提に相談して、交渉しているところです。
移民局の手続きがうまくいけば、あとはなんとかなると前向きに考えています。





ろう学校での写真展を堪能し、公園でのんびりした後、夜にろうYouTuberの集いに顔を出してきました。
大スクリーンで動画を鑑賞したあと、パネルディスカッションのような形でろうのYouTuber同士で会話が広がったのですが、ろうといっても多様!でした。





最近のフランスは、日本と同じように人工内耳の人がとても増えているらしく、聾学校も生徒数が減少傾向にあるということでした。
これは、アフリカ諸国をのぞいた世界的な流れなのかもしれません。

人工内耳で「音は比較的入るようになった」という人たちで、声だけで話さなければならないという教育を受けた世代が大人になっています。
その人たちは手話が使えないので手話通訳を通すのですが、手話通訳者が声が聞きづらいのか、何度も聞きなおしたり、通訳間違えをしたりで、明らかに通訳しにくそうでした。

また、逆に質疑になったときに、相手から手話で言われたことも、声で言われたことも分かりにくく、手話と口話で周りの人がゆっくり言い直すなど、ボランティア的な支援対応が必要な状況でした。


しかし、これは日本でもあるあるの状況だと思います。
最近の人工内耳の子どもたちは、手話も必要だという教育の転換があって、手話を共通言語として話すことができるようになっていると思いますが、その上の大人の世代では、こういうコミュニケーションの分断が起こっています。

オーディエンスに多かった手話優位のろう者たちのなかには、「もっとさまざまなろうのモデルを出してはどうか」、「これを見た聞こえる人たちがろう者は声で話せるというふうに思ったりしないか」、「ほかのろう者や難聴者と出会ったことはあるのか」などと質問している人もいました(まちがっているかもしれませんが、おそらくそういう意味のことを言っていたと理解しました)。

そのたびに、司会のろう者は「多様性」という言葉をたくさん使っていて、周りもそういうセンシティブなことは触れないようにしよう、輪を壊さないようにしようという意図の総意を感じました。

これが表向き、公の場での対応なのかどうか、それが今後の関わりで見えてくることもあるかなと思っています。
それは、日本でもアメリカでも多様性という言葉を使いますが、聞こえない人たちはその言語運用の実態において多様であると同時に、実際的な当事者どうしのかかわりの中では、分断しているともいえるのではないかと感じてきたからです。

でもね、フランス。
この2週間+2日で感じてきたことをひとことで言うと、柔らかいの、優雅。
アメリカはきついでしょう、スパスパした物言いで。
常に「why」を連発していて、尋ねられたら理由を説明しないといけないし。
説明しなくてもいいんだよね、よくわからなくてもいいんだよね。
あいまいにしておいてもいいんだって、そういうことをフランス語圏で学んでいます。

あるいは、保守ともいえるのかもしれない。
アメリカでは常に自己の考えを分析して、自分の意見を明確に言えるようになることが正しいと教育を受けてたので、こういうふうにふわっと人を包み込んで、柔らかく受け止めるか流すかというところは、私には新鮮なんです。

なかなかに奥深そうです。
さぐっていこう、フランス。



スポンサーサイト
2017.10.20 Fri l diary トラックバック (0) l top

トラックバック

トラックバック URL
http://deafjournal.blog.fc2.com/tb.php/605-2bab1ed5
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。